あためわるのジョイ勉

ジョイ勉のオマケ

題「福原愛と非相対性」炭安の天寒のぞむ墨染め師(冬)

共同親権ならば、愛さんからの視点では長女は連れ去られたことになるのではないの?
愛さんの生活が安定してきたから、ここらで叩いておこうとの会見に見えるのは何故?

クリミヤ橋が攻撃されたから報復だと侵略者が言っているのと変わらないような感じ?

長女と長男を半年ごとに往来させればいいだけの話ではないか、単独親権が目当てなら

会見のつじつまが合うのだけれど、非相対性に違和感を持たない感覚が分からない。

江亀願湿甲 湫鶴望恬寒 炭賤凌冬視 双家割愛看 炭抗の詩